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秋田簡易裁判所 昭和52年(う)22号 判決

主文

被告人小野勇吉を懲役四月に、被告人鎌田鉄之助を懲役六月および罰金六万円に各処する。

被告人鎌田鉄之助においてその罰金を完納することができないときは、金三、〇〇〇円を一日に換算した期間、同被告人を労役場に留置する。

この裁判の確定した日から、被告人小野勇吉に対し二年間、被告人鎌田鉄之助に対し、右懲役刑につき二年間、それぞれその刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、その二分の一ずつを各被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一  被告人小野勇吉は、秋田県南秋田郡八郎潟町字一日市イカリ地先官有地付近の八郎湖東部承水路において、建網を設置して漁業を営んでいた者であるが、昭和五一年五月三一日ころの午後二時過ぎころ、養鯉業遠藤剛太郎の網生けすから逃げ出して右建網内に入つた緋鯉約五四キログラム(時価約五万四〇〇〇円相当)を発見したが、右捕獲した緋鯉を他人の所有物であることを知りながら、敢えて所有者を探して返還しようとせず、同日の午後三時ころ、ほしいままに右同所において養鯉業鎌田鉄之助に約二万〇五二〇円で売渡して横領し、

第二  被告人鎌田鉄之助は、右同日の午後三時ころ、同所において、右小野勇吉が建網で捕獲した緋鯉約五四キログラムを、それが占有を離れた他人の物を捕獲し、売却しようとするものであることを知りながら、同人から約二万〇五二〇円で買い受けて賍物の故買をし

たものである。

(証拠の標目)(省略)

(検察官の主張に対する判断)

一  本位的訴因に対する判断

検察官は、本件各公訴事実につき本位的訴因として、被告人小野勇吉は、錦鯉および緋鯉約五四キログラムを遺失物横領したと、被告人鎌田鉄之助は、右錦鯉と緋鯉を賍物故買したと主張するので、右本位的訴因が認められるかどうかについて判断する。

1  錦鯉と緋鯉について

検察官は、本件において、錦鯉と緋鯉(いろ鯉または棒赤とも称されているが、以下錦鯉以外のいろ鯉、棒赤等を緋鯉という)は種類の異なる鯉であることを前提に、各主張しているので、右各主張の判断に先だち、錦鯉と緋鯉の概念について検討する。

岩波書店発行の新村出編「広辞苑」第二版補訂版によると、錦鯉の名詞の記載はなく、緋鯉の名詞の項目に、「鯉の一種、色のついたものの総称で、全身黄赤色、紅色または白色あるいは雑色のもの、斑点のあるものなど種々の品種がある。」と解説が加えられているので、講学上錦鯉と緋鯉は同一種類の鯉であつて、両者を緋鯉と称するものと解されるが、証人沢木繁孝、同橋本栄治は、いずれも秋田県内水面水産指導所に勤務し、秋田県内の八郎湖を含む内陸地域の淡水魚養殖の技術指導、試験研究に従事している者であるところ、同人らの当公判廷における各供述によれば、秋田地方においては、錦鯉は緋鯉と異なる種類の鯉として分類され、かつ、認識されていることが認められるので、緋鯉と錦鯉は別個の種類の鯉であるものとして論及することとする。

(なお、鑑定証人中野智夫の鑑定証言によると、学術的には、中国から伝来した朱黄色または朱色の単色で色彩の鮮明な鯉が本来の緋鯉であつて、秋田地方で緋鯉として扱われている鯉のうち、赤と黒の雑色のもの〔錦鯉のように、色彩が鮮明でない赤色の魚体に黒い斑点が混つている色彩の鯉〕は、緋鯉に属さないその他の鯉として分類されていることが認められる。

ところで、証人遠藤剛太郎に対する当裁判所の昭和五三年二月二五日付尋問調書と被告人鎌田鉄之助の当公判廷における供述によれば、本件の遠藤剛太郎の逸失した鯉と、被告人小野勇吉が捕獲した鯉には、右の両方の鯉が混入していたことが認められるので、本来ならば、両者を異種類の鯉として審理判断すべきところではあるが、前述のように、秋田地方においては、両方の鯉を同種類の緋鯉として認識し、錦鯉と異なるものとして分類しているので、通常の百科辞典は動物辞典などでも、両者を異種類の鯉と分類し、解説をしていない点などに鑑み、秋田地方における分類方法にしたがつて、本件では、いずれの鯉も緋鯉の一種として審判する。)

2  錦鯉の存否について

(一) 現場の状況

前掲の証人遠藤剛太郎の当公判廷における供述、当裁判所の検証調書、被告人小野勇吉の当公判廷における供述ならびに検察官に対する供述調書を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 本件現場の秋田県南秋田郡八郎潟町字一日市イカリ地先官有地付近の八郎湖東部承水路(以下東部承水路という)は、従前存在した八郎潟に干拓工事が施工され、現在の干拓地が造成された際、農業用水等に利用するために、干拓地を囲繞して周囲に残されたもと八郎潟の一部で、その東側に面する南北に通ずる水路部分であつて、本件現場付近は、水路幅が約三〇〇メートルの帯状の承水路なので湖水の様相を呈しているところ、本件犯行当時の昭和五一年五月ころ、右地内には、承水路の東側堤防から西方へ約一七〇メートルの地点にあたる承水路の略中央部分の水中に、遠藤剛太郎(以下遠藤という)が真鯉(観賞鯉に対して食用鯉とも称されているが、以下野鯉、養殖鯉を含めて真鯉という)養殖のための網生けすを設置し、その周辺に被告人鎌田鉄之助のほか、石川定雄、小柳昇らがそれぞれ遠藤と同様に網生けすを設置して真鯉等の養殖などをしていたこと、

(2) 被告人小野勇吉は、秋田県知事から雑建網漁業の許可を受け、東部承水路において、わかさぎ建網一二か統、雑建網一二か統を仕掛けて、自然に棲息するわかさぎ、鯉、鮒、ぼらなどを捕獲してきたが、本件犯行当時には、右遠藤の網生けすから北東側に約一〇〇メートルから約一五〇メートル離れた地点にかけて、承水路の東側堤防寄りの水中に雑建網三か統を仕掛けていたこと、

(二) 遠藤の供述の信用性

(1) 遠藤は、当公判廷に証人として出頭し、前記東部承水路に設置した網生けすで真鯉の養殖をするかたわら、一匹一キロから一キロ三、四〇〇グラムの錦鯉約一、〇〇〇匹を飼育していたが、昭和五一年五月三一日ころ、錦鯉を飼育していた網生けすのロープが切れて網生けすが水中に垂れ下がつたため、一〇〇匹足らずを残して逃げ出された旨の供述をしている。そして、当裁判所が証拠物として証拠調べをした八郎湖増殖漁業協同組合(以下漁業組合という)の昭和四五年度および昭和四七年度各元帳ならびに前掲の証人遠藤剛太郎に対する当裁判所の昭和五三年二月二五日付尋問調書によると、遠藤は、漁業組合から昭和四五年五月二日に五・五キログラムの錦鯉の成魚を、同四七年六月二八日に五、〇〇〇匹の錦鯉の青仔(稚魚)をそれぞれ購入して飼育あるいは養殖をしたことが認められ、他に証人斎藤謙治は、昭和四八、九年ころと昭和五一年ころの二回にわたつて遠藤から合計一〇匹の錦鯉を買い受けていて、その際、遠藤の網生けすに錦鯉が飼われている状況を現認している旨、証人小柳昇は、遠藤が本件の逸失をする前に、遠藤から錦鯉を大量に持つていると話していることを聞いたことがある旨それぞれ当公判廷で供述し、遠藤の主張に沿う証言をしている。

しかし、前記証人遠藤剛太郎に対する当裁判所の尋問調書中には、遠藤が検察事務官作成の写真撮影報告書添付の写真を示されて、右写真に写つている緋鯉を指示し、「このような鯉もいました。私は、組合から錦鯉だと言われて渡されたので、それも錦鯉だと思つていました。」旨の供述部分があるので、これらの供述内容に徴すると、遠藤は、錦鯉と緋鯉が種類を異にする鯉であることを知らなかつたばかりか、その区別も分らなかつたものといわなければならない。

この点につき被告人らは、いずれも本件で捕獲し、買い受けた鯉は、真鯉と緋鯉であつて、錦鯉は入つていなかつたと主張し(ただし、被告人小野勇吉は、後記のように、第一回公判期日には、緋鯉を捕獲したことも否認した。)、証人八柳専之丞は、当公判廷で被告人小野が本件建網を引き揚げた際、手伝つていたので、建網に入つていた鯉を見ているが錦鯉は入つていなかつたと右被告人らの主張に符合する供述をしている。

そればかりか、証人小柳昇、同小玉久、同中田善一郎、同沢木繁孝、同橋本栄治の当公判廷における各供述によると、

イ 小玉久は、被告人小野が仕掛けていた前記建網に近接して建網を仕掛けていたので、被告人小野が本件緋鯉を捕獲した翌日の午前六時ころ、小柳昇と一緒に行つて、右建網を引き揚げたところ、約五〇キログラムの数量の鯉が入つていたが、遠藤が網生けすから逃げられたというので、直ちに、遠藤に全部引渡していること、

ロ 養鯉業者が鯉を青仔から養殖する場合、春先き青仔を仕入れ、陸池で一年間飼育し、体長を一四、五センチメートルに成長した元鯉にしてから網生けすに放して養殖し、その年の秋には成魚に育つので、市場に売り出すものであるところ、錦鯉の青仔の場合は、真鯉の青仔に比し体質的に劣つているので元鯉に成長するまでの間に死亡する割合が高いうえ、錦鯉は、青仔の当時から魚体に色がついていて目につき易いため、水深の浅い陸池で飼育している間に野鳥などに啄ばまれて滅失してしまう虞があること、

ハ 沢木繁孝は、昭和四四年の一年間と同四六年から現在に至るまで、橋本栄治は、同四三年から同四五年までの間と、同四七年から同五〇年八月下旬に休職になるまでの間、それぞれ前記秋田県内水面水産指導所に勤務し、養殖鯉の指導等に従事してきたところ、同人らは、毎年定期的に二回ずつ秋田県内の養鯉業者ら方を巡回して養殖状態を視察し、実地に養殖の指導をしてきたほか、養鯉業者の要請に応じ随時指導に赴いてきていたが、遠藤の網生けすについても、毎年定期的に実地に見聞し、指導をしてきたばかりか、遠藤の要請によつて随時指導に赴き、その都度個々の網生けすごとに鯉に飼料を与えながら、遠藤の鯉の養殖状態を観察してきたこと

が認められるところ、右証人小柳昇と小玉久は、そのとき建網に入つていた鯉は真鯉と緋鯉が半分位ずつで、錦鯉は入つていなかつた旨、証人小柳昇は、昭和四七年六月ころ、遠藤や石川定雄らとともに漁業組合から錦鯉の青仔を購入して養殖をしたが、元鯉に成長させるまでの間に全部死滅させて養殖に失敗している旨、証人中田善一郎は、西部承水路で錦鯉の青仔を購入して養殖を試みたが、陸池で養殖している間に鳥害等によつて全滅した旨、証人沢木繁孝と橋本栄治は、遠藤の網生けすには真鯉のほかに約一、〇〇〇匹の緋鯉が飼育されていただけであつて、同人が錦鯉を飼育し、あるいは養殖していた状況は一度も見たことがなく、遠藤からも錦鯉を飼育し、養殖しているとの説明や報告は受けたことがなかつた旨それぞれ当公判廷で、被告人らの主張に沿う各供述をしている。

ところで、右各供述のうち、証人小柳昇、同小玉久、同中田善一郎、同八柳専之丞らは、いずれも被告人らと同業者あるいは同一部落等に居住する者なので、それぞれ被告人らとは交遊関係があるうえ、被告人鎌田は、八郎潟町々会議員、漁業組合理事などの要職に就いている地域代表者で、部落では指導者的立場にある者であることなどによる利害関係等を考慮すると、右証人らが被告人らの面前において被告人らのために不利益な供述をすることは到底期待できないものというべきであるから、同人らの錦鯉の存否についての証言は、信用できるものと即断することはできないが、証人沢木繁孝、同橋本栄治は、いずれも地方公務員であつて、被告人らとは勿論、遠藤とも特段の利害関係がなく、かつ、親族等の身分関係もない中立的立場にあるものと認められるから、同人らが長年にわたつて専ら真鯉や錦鯉の養殖等の研究と技術指導に携つてきたことと相俟つて、同人らの供述は信用することができるものと認められる。

これに反し、遠藤の供述に沿う証人小柳昇の証言は、遠藤から聞いただけであつて、直接遠藤の養殖状態等を確認しているものではなく、証人斉藤謙治の証言も、同人が遠藤とは父親の代から親交があつて、近隣の者らからは遠藤方と親族関係にあると思われている間柄であることなどに鑑みると、遠藤の供述に迎合する証言をすることこそあれ、遠藤に不利益な結果を招くような証言はしないものと考えられるうえ、その供述内容には、遠藤から買い受けた金額を記憶していないばかりか、買い受けた錦鯉はすべて死滅し現存しないなどとあいまいな点が認められるので、これらの点に、遠藤が錦鯉を養殖して飼育していたのであれば、既に成魚に成長して販売できたのにもかかわらず、一、〇〇〇匹もの錦鯉を飼育していながら、遠藤の供述以外に第三者に対して売渡したことを証明できる証拠がなく、かつ、逸失を免れた錦鯉も残存していない現状であることなどを併せて判断すると、右証人小柳昇、同斎藤謙治の各証言の錦鯉の存否についての供述部分と、証人遠藤剛太郎の当公判廷における供述のうち、逸失した鯉が錦鯉であつたとの点についての供述部分はいずれも措信できないものといわなければならない。

もつとも、被告人小野勇吉の検察官面前調書には、一貫して、「錦鯉を拾得した。」旨の供述をした記載がされているだけであつて、真鯉と緋鯉が混つていた旨、あるいは真鯉以外は錦鯉と緋鯉であつた旨の供述部分は全く記載されていない。

この点につき被告人小野は、「それまで警察や検察庁で調べられたことがなかつたので驚いてしまつたことと、耳が遠いので検察官の言うことが良く聞こえなかつたことなどから、話したいことを話すことができなかつたし、当時は、錦鯉と緋鯉の区別も分らなかつたので、検察官の言うとおりに調書が作られたからである。」と弁解している。

しかしながら、証人吉田年広の当公判廷における供述によると、同人は、本件捜査を担当した検察官であるところ、本件は、遠藤が代理人によつて検察庁に対して告訴をしたので、司法警察員の捜査を経ず、直接検察官が捜査を開始した被疑事件であつて、右検察官は、昭和五二年三月一七日被告人小野を秋田地方検察庁に呼び出し、午後二時ころから供述拒否権を告知して取調べを開始し、調書作成時間を含めて約二時間にわたつて尋問したのであるが、その際、被告人小野は、自ら捕獲した鯉が錦鯉である旨供述し、真鯉と緋鯉だけで、錦鯉が入つていなかつたなどとは全く供述をしなかつたうえ、調書作成後読み聞かせられても、増減、変更などを申し出ることなく署名押印をしたことが認められる。このように、被告人小野に対する取調べは身体の拘束等のともなつた強制捜査ではなく、任意出頭による一回だけの取調べであつて、取調べに要した時間も僅か二時間程度で、その取調べ状況には、自白を強要したような形跡や偽計を用い錯誤に陥れて自白を得たような事跡も存しないので、右自白調書には任意性を疑うべき事情は窺われない。

そこで、右自白調書の真実性について検討すると、被告人小野が、小学校卒業以来長年にわたつて家業の漁業に従事してきた経歴を有する者であることと、同被告人の当公判廷における供述態度と供述内容が絶えず被告人鎌田に示唆されて、終始あいまいな供述を繰り返していることなどに照らせば、被告人小野の当公判廷での弁解が果して真実かどうか疑いがないではないが、前記認定の遠藤のように、養鯉業を専業とする者であつても錦鯉と緋鯉の識別ができない事実に徴すると、一概に被告人小野の弁解が信用できないものとはいえないばかりか、本件捜査手続が、前記証人吉田年広の当公判廷における供述によると、本件の捜査にあたつて検察官は、告訴人の遠藤から一度事情聴取した後被告人らを各一度ずつ取調べただけで本件の公訴提起に及んでいることが認められるので、検察官は、遠藤が錦鯉を逸失したと告訴し、かつ、供述をしていたので、これを軽信し、それ以上、遠藤に対して、錦鯉と緋鯉の区別を弁えているか否か等につき糾明し、確認をしなかつただけではなく、参考人や証拠物等の取調べも充分にしないで、遠藤が逸失した鯉が錦鯉であつたか否かについての基本捜査をおろそかにしたまま被告人小野の取調べにあたつたので、被告人小野も検察官に問われるままに「錦鯉であつた。」と供述したものと推認し得ないものでもないから、被告人小野勇吉の検察官面前調書中、「錦鯉を拾得した。」旨の供述部分は、全部錦鯉であつたとの点についてのみばかりではなく、緋鯉と錦鯉が混入していたとの点についても合理的な疑いを容れる余地がないほど信用性、真実性が存するものとは認めることができないといわざるを得ない。

また、被告人鎌田鉄之助の検察官面前調書には、被告人小野から買い受けた鯉は「いろ鯉(すなわち緋鯉の意、以下同じ)」であると供述をした旨記載されていて、錦鯉であつた旨の供述の記載がないので、被告人鎌田は、検察官に対し、終始一貫して緋鯉であつたと供述をしたものと認められるが、右調書の末尾には、「なお、私が買つたいろ鯉は、それほど良いものではありませんでした。赤と白の色がはつきりしたものではなく、あの鯉であれば錦鯉というよりも雑鯉に近いのではないかと思います。」との供述部分が存在する。そこで、右供述調書と被告人鎌田鉄之助の当公判廷における供述によれば、被告人鎌田は、昭和四一年ころから、東部承水路において、真鯉の養殖等をして養鯉業を営んできた者であつて、他に養鯉業のかたわら、観賞鯉である錦鯉や緋鯉の成魚を仕入れて網生けすに一時畜養しながら販売をしてきたことが認められるから、錦鯉と緋鯉の相違は充分弁えていた筈であるので、右供述部分は、「錦鯉の質の悪いものであつた。」と供述をしたものと解される余地もないではない。しかし、前記のような本件捜査手続の経緯に照らすと、右供述部分は、被告人鎌田が当公判廷で弁解するように、「いろ鯉でも質のよいものではなかつた。」と供述したものと解するを相当と思料する。

したがつて、被告人鎌田の検察官面前調書をもつてしても、遠藤が逸失した鯉が錦鯉であつたことを認定することができない。

以上に検討してきたように、被告人小野勇吉の検察官面前調書は、自白の内容中、拾得した鯉が錦鯉であつたとの点を除いては、その信用性を否定することはできないが、錦鯉であつたとの点については、その真実性を担保する証拠に欠けるので信用性に疑問があるから、右証拠を除いて認定せざるを得なく、結局、以上に認定したように、遠藤は、従前漁業組合から購入した錦鯉の成魚は売却あるいは死滅させ、青仔は他の養殖を試みた者らと同様元鯉に成長するまでの間に死滅させて、本件逸失時には、真鯉のほかに緋鯉の成魚を飼育していただけであるといわなければならない。

3  結論

以上の事実によれば、遠藤が逸失した鯉は緋鯉であり、また被告人小野が本件で捕獲した鯉も緋鯉だけであると認められるから、検察官主張の本位的訴因は採用しない。

二  本件緋鯉の数量について

当裁判所が前掲の罪となるべき事実に判示した緋鯉の数量は、次のような事実と経緯に基づいて認定したので、その要旨を示すこととする。

1  本件建網による捕獲状況

前掲の被告人小野勇吉、同鎌田鉄之助の当公判廷における各供述および検察官に対する各供述調書によると、被告人小野は、遠藤が緋鯉を逸失した日である昭和五一年五月三一日ころの午後二時過ぎころ、前記東部承水路に仕掛けた建網を引き揚げたところ、三か統の建網に一匹一キログラム位の大きさの緋鯉約六〇キログラムと真鯉約三、四〇キログラムが入つていたので、その際、緋鯉は近くの養鯉業者の網生けすなどから逃げ出したものであることを知りながら、直ちに、右建網の近くに設置されていた被告人鎌田の網生けすのかたわらで、右被告人鎌田に対し、緋鯉は一キログラム約三八〇円の割合、真鯉は一キログラム約三五〇円の割合の各価格で売渡したことを認めることができる。

被告人鎌田鉄之助は、当公判廷において、その際、被告人小野から買い受けた真鯉は約六、七〇キログラムである旨供述をしているが、右供述は、捕獲して売渡した被告人小野勇吉およびこれを目撃していた証人八柳専之丞の当公判廷における各供述に照らして、措信することができない。

また、前記証人吉田年広は、被告人らは、検察官の取調べに際し、真鯉を捕獲したことや買い受けたことは一言も供述しなかつたと当公判廷で供述しているが、証人遠藤剛太郎の当公判廷における供述によれば、遠藤は、被告人小野が捕獲した翌日、小玉久から同人の建網に入つていた緋鯉を返して貰つた際、右建網に真鯉の入つている状況を目撃していることが認められるので、右事実によると、被告人小野の建網にも真鯉が入つていた事実を推認することができるから、前述の如き本件の捜査経過に鑑みれば、被告人らは、検察官が錦鯉についてのみ追及したため、真鯉の点については、供述をしなかつたに過ぎないものといわなければならない。

2  緋鯉の棲息状況

証人小柳昇、同小玉久、同沢木繁孝、同小野昭二、同橋本栄治の当公判廷における各供述を総合すると、干拓前の八郎潟には真鯉が僅かに棲息するだけであつたが、秋田県が干拓後の八郎湖の魚類の繁殖を図つて昭和三七、八年ころから二、三年続けて真鯉を放流し、さらに、干拓後存置された八郎湖で真鯉の養殖が始められ、それら養鯉業者らの網生けすなどから逸失して無主物と化した真鯉が加つて、自然に棲息する野生の真鯉が増えるにつれ、緋鯉も野生のものが棲息するに至つたことが認められ、鑑定人沢木繁孝の当公判廷における供述によれば、緋鯉は、真鯉の交配の際、突然変異的に生れ出るものであるところ、真鯉の人工交配の場合には、おおよそ真鯉の稚魚のうち、約一〇パーセント以下の割合で緋鯉の稚魚が生まれていることを認めることができる。

以上の事実を総合すると、被告人らの本件犯行当時、八郎湖には、野生の緋鯉も棲息していたことを推認することができるが、その数量については、緋鯉の棲息量ばかりか、真鯉の棲息量も確認することができる証拠はない。

ところで、鑑定証人中野智夫の鑑定証言によれば、鯉は、産卵期には群泳する習性があるが、東部承水路が全域にわたつて鯉の産卵に適している関係から、東部承水路においては、産卵期といえども、五、六〇キログラムもの大量の緋鯉が同時に回遊するようなことはあり得ないこと、右承水路で、建網によつて鯉を捕獲する場合、自然に棲息する緋鯉が捕獲される割合は、同時に捕獲される真鯉の一〇パーセント以下に過ぎないことが認められる。そして、この点につき被告人小野は、当裁判所の質問に対し、従前、建網で緋鯉を捕獲したことがあるが、最も多く緋鯉を捕獲したときでも、約一〇キログラム位に過ぎなかつた旨供述している(もつとも、被告人小野は、第九回公判期日の被告人質問の際、検察官の質問に対して、これまで建網で、自然に棲息していた三〇ないし四〇キログラム位の緋鯉を二回捕つたことがある旨の供述をしているが、右供述部分は、躊躇しながらの供述であつて、あいまいで一貫性がなく、作為的なので措信できない。)うえ、証人小柳昇、同橋本栄治の当公判廷における各供述によれば、従前、東部承水路で建網を仕掛けていた漁師が自然に棲息する緋鯉を捕獲しているが、いずれも一か統の建網で一度に捕獲した緋鯉は数匹に過ぎず、二〇キログラム以上もの大量の緋鯉を一度に捕獲したことはなかつたことを認めることができる。

右事実を総合考慮すれば、鑑定人中野智夫の右鑑定証言には合理性が認められ、信用できるものということができる。

そうすると、前述のように、本件の被告人小野が捕獲した緋鯉は、いずれも一匹一キログラム前後の成魚であつたことが認められるので、右事実から推論するならば、被告人小野の捕獲した緋鯉の中に野生の緋鯉が混つていたのであれば、建網の網の目から逃れ出ることができない程度の一キログラム以下の小さな緋鯉も当然一緒に捕獲された筈であるのに、かかる緋鯉が一緒に捕獲されたことの証拠に欠ける本件においては、果して被告人小野が捕獲した緋鯉の中に無主物である自然の緋鯉が混入していたかどうか疑いがないではないが、無主物が混つていたとすれば、結果的には、被告人らの利益に帰することになるので、本件緋鯉の中に無主物である緋鯉が混つていたものとして判断することにするが、以上の認定事実によれば、無主物が混入していても、被告人小野が本件緋鯉とともに捕獲した真鯉の数量は、前記の如く三、四〇キログラムであつたのであるから、多くとも、その一〇パーセント以下である四キログラム以下の数量に過ぎなかつたものといわなければならない。

なお、これらの点について、鑑定人沢木繁孝は、当公判廷において、「鯉は習性上産卵期に群をなして泳ぐが、真鯉と緋鯉は同居して回遊し、八、九〇キログラムの鯉が同居回遊する際、四、五〇キログラムの数量の緋鯉が混つて回遊する可能性もあり得る。」旨の供述をしているが、右鑑定部分は、推測に基づく可能性を述べたものに過ぎないうえ、同人は、先きに証人として、「緋鯉だけが五、六〇キログラムも一度に建網で捕獲されることはない。鯉が産卵期に群泳するとしても、東部承水路では、そんなに大量の緋鯉が群泳をすることは考えられないから、若し、それ程の緋鯉が捕獲されたとすれば、誰かの飼つていた緋鯉が逃げられた場合である。」旨の供述をしているので、これらの供述内容と供述経過に、前記従前の緋鯉の捕獲状況の事実を徴すると、右鑑定部分は採用することができない。また、証人小玉久は、当公判廷で、「これまでに建網で、二五キログラム位の量の自然に棲息する緋鯉を捕獲したことが三、四回ある。」旨供述をしているが、同人と被告人らとの間の前記認定のような利害関係などと、同人が小柳昇に対して建網に入つている緋鯉を売渡す意図のもとに、前記建網を引き揚げに行つた事実などに鑑みれば、右証言も信用することができない。

3  本件各犯行にかかる緋鯉の数量

以上の認定事実によれば、被告人小野が本件犯行日時に捕獲した緋鯉約六〇キログラムの中には、多くとも四キログラムではあるが自然に棲息していた野生の緋鯉が混入していた可能性が存するものといわなければならない。そして、本件緋鯉は、いずれも同種、同等、かつ、大きさも同じ位のものであつて、遠藤の逸失した緋鯉であることを識別できる証拠は存在しない。

ところで、以上に判断したように、被告人小野が占有離脱物である緋鯉を横領したこと、被告人鎌田が右横領にかかる緋鯉を故買したことが認定できる場合に、その横領し、故買した緋鯉の数量が、被告人小野の捕獲した緋鯉が約六〇キログラムであることを認定できるのにもかかわらず、同一性の点から、右緋鯉のうち、何匹が他人の物であるか、何匹が自然に棲息していた無主物であるかを区別することが全く不可能な場合には、全部の緋鯉を全体として観察するほかないことになるが、本件においては、検察官が被告人小野が捕獲した緋鯉の総数から一〇パーセントを控除した約五四キログラムの緋鯉につき各被告人らに対する訴因として明示しているところなので、右数量は、前項において認定した事実によつて明らかなように、被告人小野の捕獲した緋鯉の中に混入していた可能性がある無主物の緋鯉の割合を控除した数量の内数に相当する数量であるから、当裁判所は、審判の対象となつている訴因の限度で判断をするものである。

(被告人らおよび弁護人の主張に対する判断)

本件第一回公判期日において、被告人小野勇吉は、

「建網に入つていた鯉は黒鯉(すなわち、真鯉の意)で、その日はふだんのときよりも多く入つていたので、誰かの飼つていた鯉が逃げ込んできたのではないかと思つたが、誰の鯉か分らなかつたので返さなかつた。」と、

被告人鎌田鉄之助は、

「小野から買い受けた鯉は錦鯉ではなく、通称緋鯉と言われている鯉であつて、その鯉は他の養鯉業者の物で、小野の建網に逃げ込んできたものを、小野が売ろうとしていたことは分らなかつた。」

と、それぞれ主張し、当時被告人らの弁護人であつた竹島弁護人も被告人らと同趣旨であると陳述して、本件犯行を全面的に否認してきたところ、審理中に新たに選任された加藤弁護人は、最終弁論において、従前の被告人らの主張と全く相反する主張をするに至つているので、その論旨が明らかではないが、以下順次被告人らおよび弁護人の各主張について判断する。

一  被告人小野勇吉の主張について

被告人小野勇吉が本件犯行日時に建網で真鯉のほかに約六〇キログラムの緋鯉を捕獲したことは、右被告人がその後当公判廷で自白しているところであり、右事実は被告人鎌田の当公判廷における供述によつてこれを認めることができる。

二  被告人鎌田鉄之助の主張について

被告人鎌田鉄之助は、本件緋鯉につきその後当公判廷で、「小野から買い受けた鯉は、他の養鯉業者の網生けすから逃げた物だと思つたが、誰が逃がしたのか分らなかつたので買い受けた。」旨の供述をするに至つているので、賍物性の認識は、客体である物が賍物であるかも知れないとの未必的な認識で足り、本犯の種類、犯行日時、被害者の氏名などまでは知る必要がないと解するのが相当であるから、被告人鎌田は、本件犯行当時賍物であることの認識を有していたことを認めることができるので、右被告人鎌田の主張も採用することができない。

三  弁護人の主張について

1  遺失物横領罪の客体

弁護人は、「魚は家畜とは認められないから、他人の所有していた物であつても、これを捕獲した場合、拾得した物にあたらないので、所有者に返還するなど所定の手続をとるべき作為義務はないから、これらの義務を尽さずに売渡しても横領罪にはならない。」と主張する。

(一) ところで、家畜とは、法律上の概念としては、その地方で人に飼養され、その支配に服して生活することを通常の状態とする動物をいうのであるから、魚が動物にほかならない点からしても、異論は存するが、金魚の如き通常人に飼養されることを常態とするものは家畜に含まれると解するのが相当である。

かくて、前記認定のように、現在八郎湖には、自然に棲息する野生の真鯉の交配によつて発生した緋鯉が棲息していることが認められるので、右家畜概念にしたがえば、緋鯉が家畜か否かについては問題の存するところであるが、(すなわち、本件においては、前述のように、専門家が分類する本来の緋鯉とその他の錦鯉以外の色がついている鯉も含めて緋鯉として判断しているうえ、それらの八郎湖における棲息量や秋田地方の棲息量が明らかではないので、結局、本来の緋鯉のみならず、その他のいろ鯉についても、通常、人に飼養されることを常態とするか否かを一概に断定し得ない。)刑法二五四条の遺失物横領罪の客体は、「遺失物、漂流物、その他占有を離れた他人の物」であつて、前段の遺失物、漂流物は例示に過ぎず、同条は、他人の占有しない財物を領得する罪のうち、委託信任の関係が存しない場合の占有者の意思に基づかずに占有を離れて、未だ何人の占有にも属しない他人の物を不法に領得する行為を犯罪定型としているのであるから、人に飼養されていて逸走した家畜外の動物や自然力の作用によつて占有者の占有を離れた物なども同条の客体に該当すると解するのが相当である。したがつて、緋鯉が家畜か否かを論ずるまでもなく、本件緋鯉は同条の客体に該るものといわなければならない。

(二) しこうして、被告人小野に対する本件訴因は、被告人小野が本件緋鯉を捕獲して自己の占有に移した後、所有者の遠藤への返還または警察署長への届け出で手続を故意に相当期間履行しなかつた不作為をもつて遺失物横領罪が既遂に達したと(不真正不作為犯)いうものではなく、被告人小野が本件緋鯉を捕獲して占有を取得した後、被告人鎌田に売渡す意思表示をした行為を捉えて本件遺失物横領罪が既遂に達したと主張する趣旨で(なお、当裁判所は、遺失物横領罪は、占有離脱物であることを知りながら、不法にその占有を取得する意思で取得した場合には、直ちに、既遂に達するものと解するのが相当であると思料するので、本件は、以上に認定した事実によれば、被告人小野が建網に入つている緋鯉を発見して他人の物であることを知りながら、被告人鎌田に売渡す決意をした時点で既遂に達したことになるが、前記認定事実のように、被告人小野の右占有取得時点と被告人鎌田への売却の意思表示の時点との間に時間的間隙がないことから、右占有取得行為と売却行為を一体として把握し、意思実現の外部的行為である売却の意思表示の時点をもつて本罪の完成時点と認定した。)、被告人小野の本件緋鯉の占有取得後の経緯を明らかにするために記載したものに過ぎないと解されるので、右作為義務の存否の当否については判断をしない。

(三) なお、弁護人は、この点につきさらに、「本件のように、広大な湖沼の網生けすから逃走した魚は、飼主は、逃走した瞬間にその所有権を喪失し、逃走した魚は無主物になる。」と主張している。

たしかに、弁護人が主張するように、本件東部承水路のような湖水状の水中に設けられている網生けすから緋鯉のような魚が逃げ出せば、直ちに水中に泳ぎ出すであろうから、当然場所的離隔をともなうのが通常の事態であると考えられるので、緋鯉を家畜外の動物と解するのであれば勿論のこと、家畜と解したとしても、八郎湖には前記のように、無主物である野生の同種の緋鯉が棲息しているので、それらの緋鯉と識別ができなくなることなどから、飼主が逃走後直ちに追跡をしないで放置したような場合は、飼主は、その所有権を放棄したものとみなされて、結局、逸走した緋鯉は無主物になるものというべきであるから、これを捕獲する者が所有の意思をもつて占有をするのであれば、無主物先占によりその所有権を取得するのは当然のことである。

そこで、これを本件緋鯉について考察すると、前記認定の東部承水路の状況、遠藤が設置していた網生けすと緋鯉の逸失状況、被告人小野の仕掛けていた建網と緋鯉の捕獲状況の各事実のほかに、前記証人遠藤剛太郎、同沢木繁孝の当公判廷における各供述および当裁判所の検証調書によると、

(1) 遠藤の緋鯉の逃げ出した日時が、被告人小野が本件緋鯉を捕獲した日の午前三時三〇分以降午後二時ころまでの間であること、

(2) 漁師が網生けすに近接して建網を仕掛ける理由は、養殖鯉に養鯉業者らが与える飼料の落ちこぼれを求めて、自然の魚が集まつてくる傾向があるので、これを捕獲するためであるが、建網は、丁字型に張られ、傘に相当する部分がくらげ状に広がり、その両端に魚の捕獲される袋がそれぞれ設けられていて、柄に相当する部分は、約六〇メートルの手網(魚を誘導する部分)として直線上に張られるものであるところ、被告人小野が仕掛けていた本件建網は、右手網部分が、東部承水路を横断するように、張られていたので、遠藤の網生けすから逃げ出して、右承水路の東側堤防沿いに北上する緋鯉は殆んど右建網で捕獲される状況にあつたこと

が認められる。

そうすると、かかる

(1) 遠藤の逸失した緋鯉が飼育されていた網生けすの設置されていた位置と、被告人小野が捕獲した建網を仕掛けていた位置の近接していること、

(2) 遠藤の本件緋鯉の逸失日時と、被告人小野の捕獲日時が長くても約一〇時間足らずの間に過ぎないこと、

(3)建網は、魚の習性を利用した特殊な形態をなしていることと、被告人小野の仕掛けていた建網が本件網生けすの東北側承水路部分を遮蔽するように設置されていたこと

などの、時間的、場所的関係および建網の特異性とその設置状況等に鑑みれば、緋鯉は、小さな魚で急速な移動が予想されるうえ、もとの網生けすに帰来するものでもないので、飼主である遠藤の占有は逸走とともに離脱したといわなければならないが、さればといつて、右のような事実関係の下においては、網生けすから逸走すると同時に飼主遠藤の追及可能性が消滅したものとして、直ちに無主物に転化するものとは到底認めることができないので、本件の遠藤が逸失した緋鯉は、被告人小野が捕獲した時点では、未だ無主物に帰したものとはいうことができず、占有離脱物に該当すると解するを相当とするから、弁護人の右主張は理由がない。

2  採捕と拾得

次に、弁護人は、「被告人小野は、秋田県知事から秋田県八郎湖漁業調整規則五条により、許可を受けて雑建網業を営む者であつて、右建網は漁業として行うのであるから、一旦網を張れば、その網にかかる魚の所有権は、当然かつ必然的に網を仕掛けた者に帰属するのであり、それは“拾得”ではなく、“採捕”であつて、漁業者の主観的意思に関係なく魚の所有権の帰属は確定する。」と主張する。そこで、検討するに、

(一) 弁護人が指摘する「採捕」とは法令用語であつて、物を採取しまたは捕獲することをいうものにほかならず、この採取と捕獲を一まとめにして「採捕」の用語を使用する法令は、主に客体が「水産動植物」のような静物と動物を一体として表現する場合である。(例えば、水産資源保護法四条一項など)そして、「拾得」は、法律用語として用いられる場合は、遺失物の占有を他人が取得することをいうものであることは論ずるまでもないところである。

(なお、本件では、被告人小野の緋鯉の占有取得の態様を表現する用語として、「捕獲」が直截的かつ適切と認め、これにしたがつた。)

(二) 右のように、「拾得」の意義は、人の所有に属さない自然に棲息する無主物の水産動植物の所有権を取得することである「採捕」とは、法律上の概念が異なるのであるから、弁護人の右主張は、本件緋鯉を遺失物(その当否はともかくとして)とする検察官の主張とは前提を異にする議論を過ぎず、本件緋鯉を占有離脱物と解するのが相当であることは以上に判断したとおりなので、右弁護人の主張は失当といわなければならない。

(三) ところで、漁業を行う者が、本件のように、建網を仕掛ける行為は、自然に棲息する無主物である魚を捕獲し、その所有権を取得するための手段としてなすものにほかならないから、所有の意思をもつて占有を取得するために仕掛けるものであることはいうまでもないところである。そして、かかる所有の意思は具体的な瞬間における各人の事実上の意思をいうのではなく、物の占有を生ずるに至つた原因の性質によつて決められる客観的な意思をいうのであつて、このように、所有の意思を純客観的に解するからこそ、網に入つた無主物である魚は網を仕掛けた者が所有の意思をもつて先占したものと認められ、その所有権を取得するに至るのであるから、弁護人の右「建網に入つた魚の所有権の帰属は、網を張つた者の主観的意思に関係なく確定する。」との主張は、なんらの根拠もない独自の見解に過ぎないといわざるを得ない。

3  保管義務と返還義務

さらに、弁護人は、「鯉は水中から上げられると、生存能力が著しく劣化し、間もなく死亡してしまうので、価値が滅失してしまうのであるから、採捕した場合、官公庁に差し出すことは事実上できないし、また飼主が分らないときには返還することもできないので、採捕者に保守管理を要求することは非現実的であり、法もそれらの義務を採捕者に課してはいない。」と主張するが、右主張は、単なる情状論に過ぎず、本件各犯罪の成否には関係のない主張であるといわなければならない。すなわち、本件緋鯉を家畜外の動物であると解するならば、遺失物法にいう遺失物には該当しないので、これを捕獲した被告人小野に同法に基づく右作為義務の存しないことは弁護人が主張するとおりであるが、同法は、遺失物についての手続法規に過ぎず、同法所定の遺失物にあたらない物であつても、他人の物であることを知りながら法律上の義務がないのにもかかわらず、これを占有して、他人の事務の管理を開始した者が、その物につき管理継続義務を負うことは民法の事務管理の規定上明らかであり、また他人の物であることを知つてその占有を取得した者が、その物につき占有権限を有しないのであれば、これを所有者に返還すべき義務の存することも法律上当然のことである。しかるに、被告人小野は、本件緋鯉を捕獲した際、他人が逸失した物であることを知りながら、敢えて逸失者を探し出そうとしなかつたばかりか、安易に早い者勝ちの悪習にしたがつて、直ちに自己の所有物として被告人鎌田に売渡したのであるから、かかる行為が正当視されるべき謂れはない。

(法令の適用)

被告人小野勇吉の判示第一の所為は刑法二五四条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、被告人鎌田鉄之助の判示第二の所為は同法二五六条二項、罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するので、被告人小野勇吉に対しては、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で懲役四月に、被告人鎌田鉄之助に対しては、その所定刑期および金額の範囲内で懲役六月および罰金六万円に各処し、被告人鎌田鉄之助において右罰金を完納することができないときは、刑法一八条により金三、〇〇〇円を一日に換算した期間労役場に留置することとし、情状によりいずれも同法二五条一項を適用して、この裁判の確定した日から被告人小野勇吉に対し二年間、被告人鎌田鉄之助に対し、右懲役刑につき二年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条本文を適用して全訴訟費用の二分の一ずつを各被告人に負担させることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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